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この像は、家康がまだ、「松平元康(もとやす)」と名乗っていた頃をモチーフにしたものです。元康が19歳の頃、桶狭間の戦いがあり、織田信長に今川義元が討たれ、自分も殺されるのでは?、と、三河の国に撤退します。その時、矢作川を渡るのですが、馬に乗って川を渡る様子をモチーフにしているため、馬の脚は短くなっています。 その後、元康は、菩提寺の大樹寺で自害をしようとしますが、当時の住職の登誉上人に諭され、考えを改めることになります。
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