最終更新日:2018年11月18日
画像差し替え済

延徳3年(1491年)8月15日、今の市場城を築いた鱸(すずき)藤五郎親信が、誉田別命(ほんだわけのみこと)を祀った八幡宮として設立されました。徳川家康とこの八幡宮との関係は不明ですが、家康にゆかりのある八幡社ということなので、家康の出生地、愛知県岡崎市にある伊賀八幡宮が徳川家の氏神であることが縁なのか、近くの山に、家康が腰かけた場所(石)があるので、越中守鱸重愛が徳川家康に従って武功を挙げた縁で、家康が小原を訪れた際に、この八幡宮に武運長久の参拝をした縁かで、家康の腰掛た石がこの神社に鎮座しています。
明治44年(1911年)に改名をし、現在の賀茂原神社となりました。

交通:名鉄豊田市駅より、とよたおいでんバス小原・豊田線 上仁木行き
カーナビマップコード:281814226*62 (四季桜まつり開催期間中)
カーナビマップコード:281814158*13 (神社そばまで車が入れれば)

神君御腰掛石

徳川家康が座ったとされる石です。座るとパワーをもらえるかも!?

神君御腰掛石の由来(看板より)

[天正4年(1576年)安土桃山時代]
徳川家康が大草の竜宝山に登った時、床机(しょうぎ)として座した石である。この時、「神君御床几之石(しんくんおんしょうぎのいし)」と称した。

[文禄3年(1594年)]
この床机石を山頂から山麓の梅ヶ洞の妙性院(みょうしょういん)に移した。以来、この石を「神君御腰掛石」と称した。山頂には「神君御床几之跡」と刻まれた石標を建てた。

[明暦3年(1657年)江戸時代]
この腰掛石を妙性院から阿弥陀堂へ「力比べ」をして移した。以来この石を、またの名を「力石(ちからいし)」とも称した。

[明治22年(1887年)]
この腰掛石を阿弥陀堂から一際(ひときわ)人寄りも多く、また、家康公とも縁(ゆかり)のあった八幡社、賀茂原神社(明治44年改名)に移し、現在に至っている。


↑Topへ

0件のコメント

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください