真言宗高野山派 瑠璃光山薬師寺 が、本当の名前です。
本寺の開山は記録に残っていませんが、2冊の「中興建立記」によると、寛文5年(1665年)本尊開帳以後本堂改修を始め、次々と伽藍が建立され、整備されました。その当時は、現在の場所ではなく、山の麓の、田代川右岸の今の畑地に建てられました。
現在の伽藍は、江戸末期から明治初期にかけて建立されたものです。鐘楼門には、十二支の彫刻と、京都東寺管長筆の山号木額が掲げられています。現在の本堂は、明治3年(1870年)に建てられたもので、宝形造(ほうぎょうづくり:屋根面の頂上を一店に集める)の前面を入母屋造(いりもやづくり)とした、一見すると神社のような変わった形式になっています。間口は3間(5.4m)、奥行きは2間(3.6m)で、本堂向拝の軒下には、精巧な龍の彫刻がされた蝦虹梁(えびこうりょう)があります。本尊薬師如来像は室町末期の作といわれており、日光・月光初め仏像13体は、岩村城内の薬師寺より迎えられました。本尊仏と石灯篭は、小原村(※)文化財に指定されています。
※)現在は豊田市ですが、昔は西加茂郡小原村でした。
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