天保年間(1830~1843)の記録によれば岡崎宿には伝馬町を中心に本陣3軒、脇本陣3軒、
旅篭屋(現代の旅館)が112軒あったとされ、東海道53次中3番目の規模を誇る宿場でした。
旅篭屋はその規模によって大宿、中宿、小宿と区分され、その他に庶民が泊まる木賃宿、
休息をする茶屋もありました。
正保・慶安の頃(1644~51)からは飯盛女という遊女を置く旅篭も現われ
(以降岡崎は岡崎女郎衆で有名な宿場ともなった)、
庶民の旅行が増え始めた江戸中期ごろになると各旅篭とも競争が激しかったそうです。
撮影日:2006年11月25日 11時28分
カメラ:メーカ=Panasonic モデル=NV-GS500
Copyright:(c)Azutelier
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