「大岡裁き(おおおかさばき)」で有名な大岡越前守忠相は旗本の家柄に生まれ、徳川八代将軍吉宗(よしむね)の下で江戸町奉行として仕え、享保(きょうほう)の改革を断行する大きな原動力となりました。著名なものに、相対(あいたい)済(すま)し令・目安箱(めやすばこ)・小石川養生所(こいしかわようじょうしょ)設置、いろは四十七組の町火消(まちびけし)の組織化、江戸防火対策である火除地(ひよけち)の確保と「瓦ぶき」屋根とする建築基準の設置など、江戸庶民の生活向上に力を注ぎました。また問屋・仲買・小売の流通段階での株仲間組合の組織化や、金銀相場の改訂・通過改鋳(かいちゅう)による物価安定策などを打ち出し、幕府財政の立て直しを図りました。晩年は譜代大名にとりたてられ、奏者番(そうじゃばん)兼、寺社奉行(じしゃぶぎょう)として職務を全うしました。宝暦元年に75歳で没し、相模国堤村(現神奈川県茅ケ崎市)の浄見寺(じょうけんじ)に葬られました。
0件のコメント