最終更新日:2019年10月02日
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浄瑠璃姫の墓

大手門から1号線を東に歩いた、岡崎公園の端っこに浄瑠璃姫の供養塔があります。

浄瑠璃姫は、年老いて子供のいなかった矢作の長者が、日頃から信仰していた鳳来寺の薬師瑠璃光如来にお願いして授かった子といわれます。
1174年3月、牛若丸(後の義経)は、東北地方の藤原秀衡を頼って旅を続ける途中、矢作の里を訪れ長者屋敷に泊まりました。その娘の弾く琴にひかれ、持っていた笛で吹き合わせたことから二人の間に愛が芽生えます。
しかし義経は東北へと旅立たなければならず、笛を形見に預け、旅立ちます。
姫は笛を大事にしていましたが、義経への思いは日に日に募るばかり…
悲しみのあまり、とうとう菅生川(乙川)に身を投げて死んでしまいます。
このとき姫は17歳だったとか。
二人が分かれて10年が経ち、義経が矢作に戻ったときには、姫は亡き人になっていたという、悲しいお話です。

ちなみに浄瑠璃姫のお墓は、矢作の誓願寺にもあります。

また、元々、浄瑠璃姫の住んでいた庵(後の光明院)は、本丸北側の、清海堀の脇(持仏堂曲輪)にありましたが、シビコと図書館の間の、浄瑠璃曲輪に移転しました。
また、乙川の左岸(名鉄電車寄り)から少し川を上ったところには、浄瑠璃ヶ淵という、浄瑠璃姫が身を投げたとされる場所があります(現在は、河川改修で「淵」はありませんが…)。


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