最終更新日:2019年10月05日
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東照公産湯の井戸

産湯の井戸エピソード「聖地」

家康の母、於大の方は、刈谷から岡崎に嫁いできましたが、この頃は、織田軍がすぐそばの安城まで攻め寄せ、さらに岡崎城まで狙われていました。岡崎の松平家が窮地に陥っていた中で、於大の方は、松平弘忠(家康の父)との子を宿します。「丈夫で強い子が生まれますように」とひたすら祈る日々が続きました。天文11年(1542)、産み月が近づくと、於大の方は二の丸の御殿から少し下った坂谷邸に移りました。すると於大の方は、坂谷邸の中にある、冷たい井戸の水をかぶって、元気な子が生まれてくるようにとひたすらに祈りました。そして、12月26日寅の刻(早暁)に、元気な産声が坂谷邸に響き渡りました。後の天下人、徳川家康こと、竹千代の誕生です。元気に育つようにと、ここの井戸の水を産湯に使いました。それがここ、「産湯の井戸」。母の祈りも加わった家康公の「聖地」です。

「全国都市緑化あいちフェア(2015)」の「産湯の井戸」説明文より

ちなみに産湯に使った水は、この井戸と、松平発祥の地、豊田市松平町の松平館の井戸から汲んだそうです。

石碑が建っていますよね~

産湯の井戸の中央に、石碑が建っています。
石碑の頭部には、遺訓碑と同じように「タイトル」と、「龍の模様」が描かれていますが、本文は、何か文字があるのは分かるのですが、良く見えません。どんなことが書いてあったのか、気になりますね。

現在も、水を汲んでいます

ちなみに現在この井戸は、水をくみ上げ(浄化し)、隣の手水桶に流すように展示されています。
(この水は飲めないのですが、「産湯」としては使うことが出来るのかなぁ??)

産湯の井戸写真館


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