松平氏の菩提寺であるこの寺に元和元年(1615)、徳川家康が先祖八代の墓を再建したもので、
元和3年には天領代官畔柳寿学が奉行となり現在の姿に整備された。
初代 親氏(ちかうじ)(生没年不詳) 宝篋印塔(ほうきょいんとう)
二代 泰親(やすちか)(生没年不詳) 宝篋印塔(ほうきょいんとう)
三代 信光(のぶみつ)(1404~1488) 宝篋印塔(ほうきょいんとう)
四代 親忠(ちかただ)(1431~1501) 五輪塔(ごりんとう)
五代 長親(ながちか)(1473~1544) 五輪塔(ごりんとう)
六代 信忠(のぶただ)(1486~1531) 五輪塔(ごりんとう)
七代 清康(きよやす)(1511~1535) 五輪塔(ごりんとう)
八代 広忠(ひろただ)(1526~1549) 無縫塔(むほうとう)
大樹寺は、文明7年(1475)安城松平家初代親忠が浄土宗鎮西派の勢誉愚底に帰依して
開創し、同家の菩提寺とした。
長親の代に安城家が松平総領家となったことにより、本寺は松平家菩提寺となった。
元和2年家康の遺言により、歴代将軍の位牌所とされ、以後14代将軍家茂までの位牌が
納められている。
現在は9つ目の家康の墓が建てられていますが、
これは昭和44年、岡崎市民が家康の徳を顕彰して、遺品を納め建てたものです。
そういえば、名前の漢字を見て気がつきませんか?
当時の名前の付け方は、先祖の一字を取って付けたみたいです。
例えば、信「忠」→広「忠」、清「康」→家「康」という感じです。
家康は、おじいさんから名前を取ったみたいですね。
ところで、松平家が繁栄したのはなぜでしょうか?
それは、
長生きをしていること、子供が多いこと、昔からの信用できる家来がいたことから、
だそうです。
ただ、松平家にもいろいろあったそうです。そのお話は、個人個人のお墓に乗せてあります。
撮影日:2007年11月17日 15時55分
カメラ:メーカ=Panasonic モデル=NV-GS500
Copyright:(C)Azutelier
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