永禄4年(1561)2月19日今川氏の家臣である井伊直親の長男として生まれました。幼名は虎松。
しかし、祖父の井伊直盛が桶狭間の戦いで死に、父が謀反の疑いで今川氏に殺され、
生母が今川氏の家臣である松平清景と再婚したため、虎松は井伊氏の家督相続権を失います。
しかし天正3年(1575)、徳川家康に見いだされ、
井伊氏に復することを許され、名前も万千代と改めます。
井伊直政は、家康に対する忠義心が最も厚かったと言われています。。
直政は常に家康の片腕として彼の下を離れず、戦だけでなく、政治や私生活の面でも
全力で家康のために働き続けたことがその証拠と言えます。
また、秀吉側に寝返った武将をひどく憎んでいたとか。
なお、家康自身も直政の武力や政治的手腕における才能を高く評価し、見守り続けていました。
これらのようなことから、直政は家康に最も厚く信頼されていた家臣だとされています。
井伊直政の部隊は、全員赤ずくめで戦ったとされています(井伊の赤備え)が、
これはかつて「武田の赤備え」の将であった山県昌景の意志を継ぐという意味もあったそうですが、
赤色だと目立ちやすく、戦の最中にどこに自分の家臣がいるのか
一目でわかるという意味もあったそうです。
撮影日:2006年04月09日 14時24分
カメラ:メーカ=FUJIFILM モデル=FinePix4500
Copyright:(C)Azutelier
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