天文17年(1548)、三河国額田郡蔵前(愛知県岡崎市西蔵前町)で生まれましたが、
幼くして父が死に、叔父のもとで育ちました。
幼いころから徳川家康に使え、「家康に過ぎたるものあり」とまで言われる武将に成長しました。
柄の長さが6mもある槍「蜻蛉切」を戦のときに使い、
生涯に参加した合戦は57回にも及びますが、
いずれの戦にもかすり傷一つ負わなかったといいます
その割には、小刀で名前を彫っていたときに手を滑らせ指に小さな切り傷を負ってしまい、
「わしの命運もここまでか」と嘆き、実際にその数日後に死去したというお話もあります。
ちなみに、「忠勝」という名前は、「ただ勝つのみ」に由来するといわれます。
撮影日:2006年04月09日 14時25分
カメラ:メーカ=FUJIFILM モデル=FinePix4500
Copyright:(C)Azutelier
カメラ:メーカ=FUJIFILM モデル=FinePix4500
Copyright:(C)Azutelier
0件のコメント