水野勝成について。
三河出身、三河国刈谷城主水野忠重の長男。
とにかく気性が荒い武将で、一軍の大将であるにもかかわらず、一番槍を挙げ(実は軍令違反)、
父の部下に所業をチクられたことで部下を殺め、
父に奉公構え(事実上の他家への仕官禁止)を言い渡されてしまいます。
その後は中国地方や九州を放浪して小西行長、加藤清正、豊臣秀吉や佐々成政、
三村親成らに仕えて重用されるものの、気性の荒さや水野家の横槍等で
あまり長続きをしなかったみたいです。
家康の計らいにより父とは和解しますが、慶長5年(1600年)に父、忠重が
殺されたため、急遽家督を継ぐことになります。
その後は、福山藩を与えられ、現在の福山市に新たな城と城下町を作ります。
福山ではそれまで湿地帯だった個所を開拓し、新田開発にも力を注ぎました。
また、家督を譲り隠居しても、隠居料一万石を福山の街つくりのために
投資し続けたといいます。
(福山市と岡崎市は、現在、親善都市として交流を行っています。)
撮影日:2008年04月06日 14時00分
カメラ:メーカ=Panasonic モデル=NV-GS500
Copyright:(C)Azutelier
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