千姫・珠姫(2009年)
家康の孫のうちの、2人姉妹です。
父は2代将軍の秀忠、母は正室の江。
姉の千姫は7歳で豊臣秀頼の正室になりますが、大阪夏の陣で祖父の家康に助け出されました。
大阪夏の陣の後、夫秀頼と、秀頼の母の淀殿が自害したので、
元和2年(1616年)、桑名藩主本多忠政の嫡男・本多忠刻と結婚。
この輿入れの際、実は津和野藩主坂崎直盛が輿入れの行列を襲って
千姫を強奪する計画を立てていたという話が有名です。
『大阪城落城の際、千姫を救出した者と千姫を結婚させると家康の言葉を受けた直盛が、
顔にやけどを負いながらも千姫を救出。しかし直盛の器量が悪いことから千姫が結婚を嫌がり、
結局美男の本多忠刻と結婚することになった。
直盛は、千姫強奪計画をたくらむも、計画は結局見つかり、
直盛は自害(もしくは家臣により殺害)したとか。』
(まあ、この強奪計画は逸話で、姫を助け出した武将が直盛の陣まで届け、
直盛が秀忠の元へ送り届けたことと、千姫の次の嫁ぎ先を探すのを直盛に頼んだのが
事実だと言われています)
ただその後、子宝にあまり恵まれず、夫忠刻も他界したので、本多家を出て江戸城入りし、
出家して「天樹院」と名を変えます。
その後、兄弟の3代将軍家光の側室と家光の次男と一緒に暮らすようになり、
大奥で大きな権力を持つようになったとか。
一方、妹の珠姫のほうは、前田利常に3歳のとき、加賀の国(金沢)へ興し入れし、
利常と14歳で結婚します。
興し入れの理由が、珠姫の生まれた年、前田家では藩祖利家が亡くなり、
二代藩主利長が加賀の国へ戻り藩政を治めていたのですが、
あるとき前田が徳川を討つという噂が流れ、
家康が大変驚き軍勢を集めて前田を攻めようとしました。
この情勢を聞いた利長はすぐに国家老を派遣して、前田家が徳川幕府に刃向かう計画は
一切無いことを説明、その証としてやむなく利長の母、お松の方(芳春院)を人質として江戸に送り
代わりに珠姫を利常の嫁として受けることを約束したそうです。
撮影日:2009年04月05日 13時53分
カメラ:メーカ=Panasonic モデル=NV-GS500
Copyright:(C)Azutelier
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