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味噌工場のすぐそばには、矢作橋があります。 矢作橋は、日吉丸(後の豊臣秀吉)が、蜂須賀小六と出会い、 出世の糸口をつかんだ話で有名です。 安藤広重「東海道五十三次」のモチーフとなった板橋は、寛永11年(1634)に着手された橋です。 それまでは土橋でした。 当時の矢作橋は、長さが二百八間(374m)あり、東海道中最大の橋でした。 そのあと何度か流されては架け替えられたそうです。
なお、当時の矢作橋は、現在の矢作橋の50m下流にあったらしいです。
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