乙川が作る標高約40mの段丘上に立地し、北は山地で狩猟に適し、飲み水や日当たりに
恵まれた土地だったので、縄文時代の早い時期から人が住みついていました。
戦後間もない昭和23~24年に、一般の市民も参加して発掘調査が行われ、
縄文時代早期の炉跡2個や中期の竪穴住居跡2件、小竪穴2項が発見されるなど大きな成果を
あげました。1件の住居跡からは女性の人骨が屈葬の状態で発見されています。
遺物としては、市内でも最古の縄文時代早期の押型文土器(9000年程前)から
弥生時代(1800年前)の土器までが出土しています。
手前から、竪穴式住居、土こう、炉の跡です。現存するものは、あと古墳くらいです。
►立体写真でご覧ください。形がわかると思います
撮影日:2007年03月17日 14時30分
カメラ:メーカ=Panasonic モデル=NV-GS500
カメラ:メーカ=Panasonic モデル=NV-GS500
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