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安部晴明 (921年?~1005年10月31日)
幼少の頃の確かな記録はありませんが、幼い頃から様々なことに秀でていたそうです。
陰陽師の第一人者、賀茂氏に陰陽道を学び、天文道を伝授され、
後に天皇の信頼を受け、朝廷で占いや陰陽道の儀式を行ったそうです。
その後、一条天皇や藤原道長の信頼を集めるようになり陰陽師として名声を高め、
従四位下の位まで上りました。さらにその息子も次官などに任ぜられ、
安部家は賀茂氏と並ぶ陰陽道の第一人者になり、明治時代まで陰陽寮という、
占い・天文・時・暦の編纂を担当する部署を統括しました。
陰陽道では、式神という、鬼神、使役神を使いますが、晴明は式神を使うのに長けていたと
いいます。儀式の他屋敷内の掃除や雑用に使い、安部家の門は人がいないのに勝手に開け閉め
されていたといわれています。
なお式神については、晴明の妻がその存在を怖がったので普段は京都の戻橋の下に封じ、
必要なときに呼び戻して使ったみたいです。

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