社記
御祭神:塩土老翁命(塩竈大神)・猿田彦命・事勝国勝長狭命・衝立船戸神・太田神・興玉神・他10柱
重要文化財:本殿・幣殿・拝殿・神供所・楼門・御厨子6基・棟札6枚
由緒略記:
37代天皇の斎明天皇(655~661:女帝です)の勅願により、奥州塩竈六所大明神を勅請され、神領をご寄進のうえ創立されたと伝えられている。
その後50代天皇の桓武天皇の代(781~806)に、「田村麿将軍」が東夷征伐のため、ご下向なさる折御祈願し、天皇に奏聞、勅許の上再建され、「六所大明神」の勅額を下賜された。
降って松平氏が三河入国以来、代々崇敬厚く天文11年(1542)12月26日岡崎城にて徳川家康公ご誕生の折には、産土神としてご拝礼になった。
慶長7年(1602)には家康公よりご朱印状を下され、石高「62石7斗」を贈られ、同9年社殿ご造営の上、御神器の品々をくだされた。後、3代将軍家光公も寛永11年(1634)、ご上洛の折岡崎城にて遥拝され、御名代「松平伊豆守」を社参、百石を加増された。
その朱印状には「六所大明神は東照大権現降誕の地ある霊神なり、是を以て崇敬他と異なり」とある。さらに家光公は同11年から13年にかけて御普請奉行「本多伊勢守」、神主「大竹大膳久次」により社殿および神供所をご造営された。この時のご造営により本殿・幣殿・拝殿を連結し、華麗な彩色を施した権現造の社殿が完成した。これが現在重要文化財に指定されている社殿である。やや遅れて貞享5年(1688)に楼門が建てられた。昭和48年より3か年の歳月をかけて修復工事を行い、往時の絢爛豪華な姿に再現された。
0件のコメント