最終更新日:2019年09月15日
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豊川稲荷は、「稲荷」と付きますが、神社ではなくお寺です。正式には、妙厳寺の境内に鎮守として祀られた「豊川吒枳尼真天(とよかわだきにしんてん)」の通称です。
今からおよそ600年前の室町時代に開創され、今川義元、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康からの帰依を受けました。その後、江戸時代になると、大岡越前守忠相、渡辺崋山などの武人、文人達の信仰を集め、さらには庶民の間で商売繁盛、家内安全、福徳開運の神として全国に信仰が広まりました。
大岡越前守忠相は、自宅に豊川稲荷を祀り、朝晩おまいりをしていたそうです(後の、東京赤坂にある豊川稲荷 東京別院)。
京都の伏見稲荷とともに日本三大稲荷とされ、年間数百万人の参拝者が訪れます。
交通:名鉄豊川線豊川稲荷駅・JR飯田線豊川駅から徒歩5分
カーナビマップコード:43542338*17 (大駐車場)
カーナビマップコード:43542546*73 (臨時駐車場)
カーナビマップコード:43542559*35 (境内駐車場)
※境内駐車場は、ものすごく入りにくいです。また、12/31~1/6くらいまでの間は、周辺が通行止めになりますので、大駐車場か、臨時駐車場を利用してください。
INDEX
門前町
駅からは、5分くらい表参道を歩くと、豊川稲荷に着きます。
門前町のシンボルは、もちろん「狐」です。
豊川稲荷境内
豊川いなりの境内です。瑞祥殿(祈祷殿)を中心に、左奥に豊川稲荷大本殿(本殿)、右奥には奥の院など、数々の神仏が祀られています。
総門
総欅造り、銅板コケラ葺きの総門は、開創二百十余年後、明暦2年(1656年)の改築に次いで、 現在のものは明治17(1884)年4月10日改築竣工したものです。 門扉は、如輪目(じょりんもく)の欅木一枚板で作られ、他に類のないものと言われています。
新年にはたくさんの信者で賑わいますが、元旦を迎えると同時に総門が開かれ、新しい年を境内で迎える善男善女で賑わいます。
また新年ともなると、境内中に、たこ焼き屋さんから、あまざけ、だるま屋さんなど、様々なお店が立ち並び、とても賑わいます。
鎮守堂
落慶開帳に際し修築したものだそうです。
祭神は白山妙理大権現(白山で信仰される女神)で、宗祖道元禅師が修業のため入宗した際、特に禅師を守護し、それより曹洞宗の寺院では守護神としてお祀りされています。
なお、内部正面のご尊像は、名匠諏訪ノ和四郎の作です。
鐘楼堂
豊川いなり、大本殿の完成を記念して、昭和12年浜松市の太々講に寄進されました。 総欅材造りで、近代の建造物としては優秀な結構として賞賛されています。
天井より吊るされている梵鐘は、戦時中に軍に供出され、長い間その鐘の音を聞く事が絶えていたそうですが、終戦の後、戦没者の慰霊のためと世界平和と人類の福祉を祈願するために鋳造されました。
毎日、朝夕に打ち鳴らす鐘の音は、4キロ以上の遠方まで響き渡らせているそうです。
また、この鐘の音は、しばしば「除夜の鐘」の妙音としてNHKを通じ全国に放送され、人々に親しまれています。
山門
天文5年(1536)今川義元が寄進した建物で、境内の中では一番古い建物です。 また、境内で唯一、丸瓦葺の屋根の形をしています。
寛政5年(1792)に修理し、さらに昭和29年春、かなえ講の協賛によって大修理が行われました。
左右の阿吽の仁王像は、昭和41年に篤信者(とくしんしゃ)によって寄進されたものです。
瑞祥殿
2017年春に、旧法堂跡に、客殿「瑞祥殿」が建てられました。
鉄骨2階建てで、延べ床面積は2928平方メートル、1階は受付所、2階は多目的ホールと研修道場があるそうです。
(豊川稲荷へは毎年行っているのですが、お正月の時だったので多分、屋台で瑞祥殿には全然気が付きませんでした(^-^;)
妙厳寺 法堂(本堂)
以前の、妙厳寺本堂です(現在は取り壊され、跡地に瑞祥殿が建っています。)
なお、法堂の役割をする建物は、境内に新築される予定だそうです。
円福山妙厳寺(えんぷくざんみょうごんじ)の中心を占める建物です。
妙厳寺は、今から550年前、東海義易禅師(とうかいぎえきぜんし)によって創立されました。建物は総檜二重屋根瓦葺で重厚な外観を示し、内部は禅宗寺院特有の簡素な構造で、朝・昼・晩の勤行(ごんぎょう)、仏事、法要、説教が随時行われています。
寒厳(かんがん)禅師が自ら刻まれた千手・千眼観世音菩薩が安置され、内部正面には浄聖台(じょうしょうだい)の額が、外部正面には大本山総持寺独住第一世奕堂(えきどう)禅師が揮毫した「妙厳禅寺」の扁額が掲げられています。
現在の建物は、天保時代24世の住職によって新築されたもので、この建物に続いて開山堂があり、宗祖道元禅師はじめ、寒厳禅師、当寺の開祖、東海義易禅師、歴代住職、諸大和尚の尊像霊碑並びに開基の今川義元の位牌がお祀りされています。
豊川稲荷 大本殿
豊川吒枳尼真天(とよかわだきにしんてん)、通称「豊川いなり」の御本体が祀られている本殿です。
昭和5年春に竣工された建物は、総欅(ケヤキ)造、妻入二重屋根三方向拝の型をとり、間口10間7分5厘(19.35m)、高さ102尺(30.6m)、奥行21間4分3厘(38.59m)、丸柱の直径は8寸(24cm)のもの、3尺(90cm)のものが72本使われています。内部は、内陣、般若殿、施主殿に区画されており、内陣にご本尊が祀られています。
ご本尊の祀られている厨子は、諏訪ノ和四郎の作で、屋根の瓦にいたるまで朱漆塗りで精巧な彫刻が施されています。
さらに、両脇祭壇には、伏見宮家より贈られた毘沙門天、有栖川宮家から贈られた聖観世音菩薩、その他貴重な諸仏、諸菩薩の像、および仏具等が安置されています。
ちなみに、お参り時に御真言、
「オンシラバッタニリウンソワカ」と、21回(7回でも可)と唱えます。
寺寶館
平成5年5月に完成した、宝物の数々が保存されている展示館です。延べ床面積1,700平方メートル、国指定重要文化財の「地蔵菩薩像」や 「大岡越前守」愛用の双六(すごろく)盤など、興味あふれる収蔵品の数々が展示されています。
境内(奥の院)
境内の奥のほうには、千本幟がたくさん立てられています。
野球選手のイチローの奉納したものもあるそうですよ。
ちなみに、豊川さんで用意している願い事の種類は、これだけあります。
◆家内安全 ◆心願成就 ◆営業繁栄 ◆社中安全 ◆病気全快
◆身心堅固 ◆交通安全 ◆災難消除 ◆大漁満足 ◆海上安全
◆学業増進 ◆出産安全 ◆開運満足 ◆進学 ◆厄年 ◆良縁(縁談)
宝雲殿
13仏を祀り、各檀家・信徒の先祖の位牌を安置し、春秋のお彼岸、お盆の法要や供養など、仏事が行われる建物です。なお、13仏とは、不動明王、釈迦牟尼如来、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩、薬師如来、観世音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来、阿閦(あしゅく)如来、大日如来、虚空蔵菩薩のことです。
亡くなった人には初七日から49日まで、7日ごとに裁判があるとされ、地獄へ行かないように、本人はこれだけ良い事をしていますからどうか救ってください、と、それぞれの仏様に向かって法要を行うそうです。そしてその後、法要は33回忌まで続きます。
禅堂(万燈堂)
文久3年(1863)9月に建立された、間口13間(19.9m)、奥行き7間(14.5m)の建物で、その名のとおり、参拝の人々が、信仰の心を分に応じて一燈、あるいは万燈に例えて献じ、供養する霊堂です。また、禅堂としての座禅修行の場でもあります。
建物内正面には、豊臣秀吉の念持仏と伝えられる、不動明王および、文殊菩薩の像が祀られています。
宇賀神堂
宇賀神が祀られているお堂です。宇賀神の発祥に関しては不明ですが、日本神話の「宇迦之御魂神(うかのみたま:稲に宿る神様)」が元とも、仏教語で「お布施」を意味する「宇迦耶(うがや)」という言葉に由来するという説が元とも言われます。御神体は、頭はおじいさん、または女性の形をしていて、胴体が蛇の形をしています。また、弁財天と習合(合体)して、宇賀弁才天と呼ばれることもあるそうです。
ちなみに、この神様、キツネ(豊川稲荷の神様の使い)とも相性が良いそうで、キツネにしろ、蛇にしろ、稲を食い荒らすネズミなどを駆除してくれるので、お米がたくさん取れる、つまり、福の神(福を授けてくれる)、だということは、間違いなさそうです。
あと、松平家(徳川家康の祖先)の初代、松平親氏も、宇賀神をお寺に奉納していたり(子孫の徳川家康が天下を築いた)、豊臣秀吉の母、大政所も、宇賀神を熱心に信仰していた(豊臣秀吉が天下を取った)という言い伝えもあるので、信仰すると、物凄いパワーをもらえるかもしれませんね。
(※)宇賀神を祀っている祠は、一般的には宇賀神社と言われているので、宇賀”神社”としましたが、
豊川稲荷のホームページには「宇賀神堂」と書いてあったので、訂正しました。
弘法堂
弘法大師をお祭りしているお堂です。
右側の弘法大師の像をさする(像をさすって自分もさする)と、悪いところが治る、という言い伝えがあります。
大黒殿
おさすり大黒天といいます。
「オン マカ キャラヤ ソワカ」と唱えながら撫でさすると、 広大無辺の仏のご利益を頂く事ができるといわれています。
右の大黒像のお腹に穴が開いていますが、私個人的には、「石で削って削りかすをお財布に入れておくと、金運に恵まれる」と聞いていました(^^;。
もっとも、看板に書いてあるとおり、
経文に「仏の慈悲は限りなく信者の願いを聞き入れるけれども、
よこしまな我欲を持って祈願することなかれ」とありますが…(^^;
なお、大黒堂の建物内には削られた歴代の大黒様がいくつも置かれています。
霊狐塚
願いが叶ったら、お礼参りという意味で、「狐の像」を奉納していったものがたくさん祀られている塚です。
お参りの仕方は、中央の祠の前の三宝に、油揚げをお供えします。
狐は油揚げが大好物なので、油揚げを食べるとつい、よだれをたらしてしまうということで、「よだれかけ」をかけているという話もあるとか。
真意はわかりませんが、赤色は、魔よけの色ということで、赤のよだれかけをかけています。
稲荷といえば、「おキツネさん」ですが、キツネは、本尊の吒枳尼真天の使いです。
ただ、豊川稲荷は別名「平八稲荷」、つまり、村を水害から救ったなど、伝説のある白狐「平八狐」を祀っているとも言われていますので…、「ここはキツネを祀っている」というのも正しいのでしょうか…??
奥の院
樹木の生い茂った境内の奥に位置し、「内殿」「真殿門」「拝殿」の三殿から成ります。
内殿、拝殿は、旧本殿のもので、文化11年(1814)に建立されました。真殿門は、安正5年(1858年)の建立で旧奥の院の中雀門でした。昭和5年、大本殿の新築に伴って、奥の院として、ここに移築されました。
この建物は祭典の行事が行われる霊殿で、信者の人々が、至心を凝らして参拝し読経礼拝される場所です。拝殿のいたるところに見られる数々の彫刻は、名匠諏訪ノ和四郎一代の傑作といわれます。
なお、奥の院の中に入れるのは2、3人ほどしかいなく、イチローもそのうちの一人で、奥の院の玉砂利をお守りとして持っているそうです。
納符堂(聖徳太子堂)
納符堂です。堂内に「聖徳太子」という札があるので、聖徳太子が祀られているお堂です。
聖徳太子は、仏教を取り入れて広めたため、仏教の祖として宗派を問わず信仰されているので、豊川稲荷内でも祀られているのでしょうね。
千本幟受付所
奥の院の向かいには、千本幟の受付所があります。
千本幟とは、一本の幟を書くだけで、千回の功徳行願を行ったことに当たる、と言い伝えられているそうです。
1本2000円で、筆で、旗に願い事と住所名前を書きます。通常は、翌朝本尊前で祈祷されたのち、奥の院霊場にて奉納される、とありますが、私はお正月の時にしか書いたことがないので、その時は、自分で奥の院に立てました。
※うちは「人材急募」と書いたら、すぐに応募が来たという、物凄い霊験があります…w。
あと、右側の建物の中には、イチローやぐっさんなど、有名人の奉納した幟が展示(??)されています。ぜひぜひ一見を!!
景雲門
奥の院の山門です。
こちらも、諏訪ノ和四郎の繊細な彫刻で飾られています。
旧奥の院の中心
奥の院から景雲門を出て右側に、小さな祠があります。
昭和の初めごろまでは、この場所が奥の院の中心だったそうです。
現在の奥の院の中心は、ここから100mほど奥だそうです。
三重塔
お釈迦様の仏舎利(遺骨)を収める場所です。
3層になっていますが、実際に仏像の安置してるのは1層部分のみ。あとは張りぼて(??)だそうです。
なお、正式には、お釈迦様のお墓を「ストゥーバー」ということから、「3重の塔婆(とうば)」というそうです。
庭園
書院の庭園として、江戸時代に造られたものです。
池を設け、芝生の築山を置き、空滝を作り、主として山麓、池、汀、庭石を組み立て、庭木は、そてつの郡植およびさつき、くちなし、さざんか、茶などの刈り込みものを主体とし、松、紅葉などの植え込みを背景としています。
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